NFTを販売する人はほぼ100%、稼ぎたいと思って始めただろう。
私のNFTの歴史はイケダハヤトさんの著書から始まる。そしてここから絵を描き始めた。
違う、絵を描くというより「絵を売る」と言った方が正しいだろう。売るための絵を描き始めた。
そして不思議なことに、今は絵を描くことのほうが楽しくなってしまったのだ。
しかし健康な大の大人が、売れない猫の絵を一日中描いて満足するその過ごし方に疑問を感じる人は多いだろう。
「売れないものを描くくらいなら働け」と。
私も売れて欲しい気持ちは持ちつつ、見た人の食指が伸びないのならしかたない。
と、開き直りつつも売れないと苛立つ。でも描きたい。この意味不明な感情を整理するために考えた。
結論はTwitterを見過ぎない、ということだ。
主婦は稼ぎたい、なぜか?
ここでの結論はそういう風潮だから。
私は固定の仕事を持たない主婦である。
主婦とは家事育児だけやって、あとはテレビでも見てるんだろう、と思われている職業だ。
とにかくよく言われるのは「働かないの?」という言葉である。
(これに対する思いは書くと長くなるので省略する)
要は家事育児の主担当であっても働かなければならない時代になったのだ。
とはいえ外で働くのが難しいから働かない訳で(省略)私も稼がなきゃいけないのはわかってるけど(省略)難しい。
ただ同じような暮らしぶりでも働いてる主婦もいる。共働きも増え、時短家電も増えたのに、なぜ働かないのか?という世間の声、特に家族の声は心に響く。
しかし外で働く難しさをいくら家族に訴えても、働かない主婦は怠け者と言われるのが常である。
世の中を見回しても、とにかく稼ぐことに前向きであることが重要な風潮がある。
社会的欲求、承認欲求を満たすための「稼ぎたい」
「マズローの欲求5段階説」というのがある。
稼ぎたい主婦は1と2はそれなりに満ちていて、3と4の「社会的欲求」「承認欲求」が低いのではないだろうか。
※ 「マズローの欲求5段階説」は段階になっているが、必ずしも順に満たされるわけではないらしい
「社会的欲求」は社会参加、組織参加とよくいわれるが、家族も小さな社会と考えると、家族から批判される状況では欲求は満たされない。
「承認欲求」も近年のSNSのいいねへの過剰反応などの話でよく聞くようになった。
SNSじゃなくても、一番近くにいる家族からいいねされない状況はまたしても欲求が満たされない。
社会的欲求、承認欲求を満たしたい。そのゴールには他人ではなく、家族がいるのでは。
稼ぎたい気持ちの目的はお金ではなく「お金が安定して稼げてからの家族からの賞賛」が真の目的ではないだろうか。
…と、一般論のように言ったが、私個人の思いであるがあながち間違いではないと思っている。
認めて欲しいのは社会なのか、家族なのか
作品が売れないとイライラする。あの人はあんなに売れてるのに。
完売という言葉を思わずミュートにするほどささくれ立つ気持ちはなんなのか。
社会に認められない(稼げない)、だから家族にも認められない…
そう思ったときに「変だな、逆だな」と思った。
社会というめちゃめちゃ大きな存在に自分を認めさせないと、それより明らかに小さな家族が認めてくれないのか…?
そう思ったら、自分の作品が売れないことの方が当然で、自分の存在を認めない家族の方がおかしいのでは?という気持ちになった。
売れたい、という気持ちは家族から認められたい気持ちから出た感情ではないだろうか(もちろん生活費を稼ぎたい気持ちはあるが)。
逆に売れなくてもいいから描きたいこの感情は、さっきのマズローの承認欲求と社会的欲求のさらに上、5番目の自己実現の欲求なのでは?
なんて思ってたら、なんだ、これはとにかく絵が描きたいなんて子供みたいで自分、尊いな!と思った。
描きたいけど売れたい感情が邪魔
私の場合、売れる売れないに関わらず、今描きたいものがたくさんある。
ただ売れることが家族に認められる大事な欲求なので本当はガッポガッポ稼ぎたい、できれば月収30万を安定して。
しかし簡単ではないこともわかっている。一旦売れたいは封印したい。
が、簡単に封印が解けるのはTwitterである。
完売しました
ゲリラリストから即売れ
Your item sold!が一気に来ました
全てがミュート案件だ。
とはいえTwitterを閉じて修行のように描き続ける勇気はないので時折見ながら。
自分の本当の欲求がわかって、描くことしか、したくない。不思議。
そうはいっても、若い頃のように寝食忘れて描くことはできないのはわかっているから、少し気楽だ。