震災で何もかも失った人と比べるのはおこがましいけれど

なにかを失ったと自覚したときに、没頭できるなにか見つかったとして

それが他人には無価値で、時間の無駄に思えるものでも、遠回りでも、自分の再生のためには必要ではないかと思った。

そう思ったのは
おかんアートと手芸の本を読んで、どちらの本にも震災後に家も仕事も失った女性の事例があって

そういった方々が、手芸の集まりに出会い喪失感を埋めるために小物を作ることがあった、と。

(興味深いのは、そういった団体が作ったものを買い取って販売することになると関係がおかしくなることがあるらしい)

↓こちらの手芸の本に書いてあった

↓これもおもしろい

何もないなと思ったときに、心を救うのは「ひたすら手を動かすこと」だったりすることは1つの方法なのだろう。

わからない人には全く伝わらないけれど
子どもがいることがここまで自分の行動を制約され、なにもできなかった空白の日々は紛れもない喪失で、その虚しさを忘れるように手を動かすことは大切な時間だ。

もちろんそれが稼ぎに直結すれば嬉しいけれど、すぐに稼ぎをゴールにすると苦しいから、まずは気楽に手を動かしてそこから稼ぎを目指したらいいと思う。

ただ稼ぎたい気持ちは人の心を大きく揺さぶるから、稼ぐためにNFTアートを始める人がほとんどだろう。

そこでうまくいかなくて違う道を進むのもありだし、もしも私のように描くのが楽しくなってしまったら、一旦稼ぐことを忘れて、いろんな作品を作るのもいいのかなと思う。

自分の再生をしてから、新たなスタートを切るのも大事だ。

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